羽生城合戦四百五十年忌供養会が厳修されました

江戸時代以前の戦乱において、羽生城は一貫して上杉謙信に帰属していましたが、行田の忍城は小田原の北条氏に帰属しており、激しい戦いが行われていました。
そして、1574年(天正2年)に羽生城は自落しました。今から450年前のことです。
その節目に当たり、令和6年11月4日に羽生市佛教会と行田市佛教会と合同で「羽生城合戦四百五十年忌供養会」が羽生市内の曹洞宗富徳寺様にて厳修されました。

法要後、歴史家乃至政彦先生から「上杉謙信はなぜ関東に越山したのか」、羽生市教育委員会髙鳥邦仁先生から「天正二年の羽生城をめぐる攻防と自落について」のご講演を賜りました。
正光寺は「直場山廣應院正光寺」と号し、その由来は羽生城主木戸忠朝の母親の戒名とされ、その菩提を弔うため羽生城より西のこの地に1543年(天文12年)に建立されたといわれています。

法要の様子を富徳寺様のYouTube公式チャンネルでご覧になれます。

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